電力自由化と自己責任

電力自由化における最大の懸念事項、それは「自己責任の増大」だと私は考えます。
もちろん、自由化されることによるメリットはあると思います。しかし、ガスや水道とならぶ電力を、他の消費物資と同様に扱い市場原理に任せることについて、私は一抹の不安を感じています。
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電気は肉眼で見ることは困難なものです。確かにスマート・メーターなどが商品化され、以前より電力のある程度の「見える化」は実現されつつあります。でも、電力と言う商品は、「ある」か「ない」かの二通りしかないのです。中途半端に減らすという事はできません。この点が、問題の理解を難しくしています。
例えば、野菜を買うのであれば、実際の商品をスーパーや八百屋の店先で見ることができます。実物の色や目方などから、品質を量り知ることができるでしょう。それでも、実際に切ってみないかぎり、中身はわからないものです。その、典型例がスイカです。色艶もいいし、かたちも丸い。一見なんの問題もなさそうに見えていても、包丁を入れたら中心は空洞だった。そんな経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
農産物の売買契約は、店で対価を払った時点で成立します。苦情を店に言うことはできますが、品質については買った側の自己責任です。切ったものを返品するとは言えません。
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それと同じことが、電力消費にも起ころうとしているのです。もちろん、電力と農産物は同じではありません。自由化されるとはいえ、それが公共料金であるという一定の規制がかかるからです。なにが変わるのか。端的に言えば、現在われわれ消費者は、電力を買う事への責任です。現在我々に課される電力消費の責任は限りなくゼロです。売る側に、供給の全責任があるためです。

 

自由化されても消費者は、ある一定の保護を受けることは今後も変わりません。しかし、それは供給される電力が十分に確保されるという大前提の上に成り立っているのです。
日本列島を大地震がふたたび襲ったら。近隣諸国と軍事衝突が発生し、海上輸送路を封鎖されたら。日本円が暴落し、燃料の買い付けができなくなったら。そんな事態は起こり得ないと誰が断言できるでしょうか。
もし電力供給が不足したとき、それでも社会的弱者へ電力が供給され続けるのか。電気が買えないことが自己責任とならないことを望みます。